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2018.9.12(WED)今日の夜明け

 

 2001年の「同時多発テロ」の発生から今日で17年の歳月が経過しました。

 

 この17年間という時の流れを自分自身の歴史に沿って振り返ってみて思う事は、「とにかく色々な事があった大変な17年間だった。」という感想に尽きます。

 

 この膨大な時間の流れの中で、私はたくさんの転機を迎え、その度にたくさんの苦労を抱え、そして、たくさんの失敗や過ちを犯し、その都度、多くの事を反省して来ました。

 

 しかし不思議な事に、私はこの17年間が「つまらない17年間だった」とだけは全く思いません。

 

 苦労し続けた日々の中には充実感があり、辛かった日々の中にも楽しかった思い出や、嬉しかった事が数え切れないほどあって、それらの記憶は既に私の人生にとって欠かす事の出来ない大切な思い出となりました。

 

 そして何より、どんなに苦しかった状況の中でも、私には「いつか自分は必ず幸せになってみせる」と思い続け、決して諦める事をせず、しっかりと前を向いて歩いて来たという自負があります。

 

 以下は私が過去に読んだ文献にある内容です。

 

「人の人生は、不自由な事だらけのこの地球上を修行の場とし、中間生(現世と死後生の間)において自分で作成した計画を自らの魂の成長のために実演する事が目的である」

 

 これは古今東東西、実に多くの「臨死体験者」が性別・宗教・思想等に関わらず、臨死体験中に訪れた世界で見聞きした内容を調査して得られた「共通認識」の一つであるとの事です。

 

 私はヒーラーとしての勉強の過程でこの分野の認識についても学習してきた訳ですが、この「宗教の教義」ではなく「臨死体験者の証言」という説得力ある概念には大変な感銘を受け、以来私は、ヒーラーである以前に一人の人間として、死後生(中間生)や輪廻転生の理念に基づいた人生観を保持するようになったのです。

 

 私は、つい最近知り合った聖人(天使)の方から、「ご自身の前世」についてのお話しを少し伺う機会があり、それを通してやはりこの「臨死体験者の証言」に誤りはなかったと再認識させられました。

 

 つまり、「人が現世を生きる目的は魂の成長のための修行であり、ひたすら無難で楽な要素ばかりの生涯を送ることではない」という真理を改めて痛感する事となったのです。
 
 天使の方は、外見は私たちと変わらないごく普通の人間です。
 しかし、その使命である「神様のお使い」に任じるために当然必要である「高次元の世界に通じた悟りや能力」については、私のようなまだまだ未熟な魂の存在とは比較対象にならないレベルの成長を遂げられています。

 

 私はこの天使の方の存在を通して、私たち人間が何回も転生を繰り返しそれぞれの人生の修行の成果によって、徐々に天使(聖人)のような存在へ成長して行くのだと学べました。

 

 これは私の個人的な見解ですが、私たち(まだまだ魂の未熟な存在)にとって現世における「魂の修行」とは、単純に「自分が幸せな生涯を送るための努力を続けて行くこと」で構わないのだと思っています。

 

 なぜならば、現在私たちが生きているこの世界は、元々、ありとあらゆる所に障害があり、生きて行くだけで常に多くの困難を乗り越えて行かなければならない「とても住みにくい世界」であるからです。

 

 少なくとも、現在40代後半の私の人生において最も困難で苦しい生き方とは、目の前の困難を避けて細々と暮らして行く生き方ではなく、

 

「自分が人生において実現したい夢を叶えるために、諦めず一生努力を続けてくこと」

 

だと思っています。

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