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美しき残酷な世界

 

 以前のコラムでも述べさせていただきましたが、私は「嘘」が好きではありません。


 人が人と関わる時、また自分自身と向かい合う時に、嘘で塗り固められた「偽りの現実」と対峙させられる事ほど、不快で不毛な事はないと思うからです。

 

 普段平気で嘘をつく人の意見は最初から「全てが嘘」だと思われても仕方がありません。
 また、自分自身が何か重要な選択を迫られている時、明らかに本音とは異なる綺麗ごとや、嘘でかさ増しした自分の器を基準に道を選択してしまうような行為も賢明とは思えません。

 

 私はこの事を考える時、いつもこういった事を自分自身に言い聞かせます。

 

 

「自分に『嘘』を付くな。まず自分自身の本音(思惑)を正しく掌握せよ。」


「本心でない調子の良い綺麗ごとを前提とするな。人は見抜いている。そして心の中で呆れている。」


「話の焦点を固定観念や心にも無い道徳心に左右させるな。事の本質について考える事を放棄する者は大義を失う。」


「常日頃から物事に筋を通して生きよ。それが出来て初めて、人は自分の本音を大義として他人と対峙できる。」

 

 

 誰に教えられた覚えもありません。人として素直に考えればここへ辿り着きます。

 

 

「ついて良い嘘とは、人の名誉や安全を守るためにつく嘘」


「つく事がやむを得ない嘘とは、自分の身を守るためにつく嘘」


「賢明でない嘘とは、日常の中で何気なく自然についてしまう嘘」


「愚かな嘘とは、私利私欲を満たすために悪意を持ってつく嘘」


 

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