事実でない事は、すべて「嘘」として処理されるべきでしょうか?
私はそうは思いません。
その背景にある「それぞれの真実」に、人それぞれの心の動きや葛藤がもたらして来た「人であるが故の差異」がそこに記録されているだけなのです。
人にはそれぞれ「志」や「想い」そして、「強さ」と「弱さ」があり、人は時の流れの中で、その時々の「志」や「想い」を喜怒哀楽の心の変化と共に、あらゆる人生の軌跡の中へ綴って行きます。
人が生きて来た軌跡の中にその人の「粗」を探そうとする者の目には、その思惑通りの醜い粗以外の物は決して見えて来ません。
しかし、その人の「心」を信じ、何によってその「差異」が生じてきたのか、温かい目で探そうとする者の目には、その人の一生懸命に生きて来た「人生そのものの軌跡」が見えて来ます。
そして、その人の事がそれまで以上に愛おしくなり、それまでの誰にも語れなかった心の影の部分を照らしだすために抱擁してあげたくなるのです。
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