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コップ一杯のワイン

2018.10.18(THU)今日の夜明け

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 あれは私が小学校4年生くらいの頃だったと思います。


 現在の私と同じくらいの年齢(40代後半)で、確か特殊学級担当の方だったと思うのですが、とても印象に残っている先生が一人います。


 その方のお名前は「田畑先生」と記憶しているのですが、とても温厚な性格の方で私が知る限り田畑先生は、一度もきつい口調で教え子たちを叱りつけているような所を見たことがなく、また私たち一般のクラスの児童たちにもよく楽しいお話を聞かせてくれる方だったのでとても人気がありました。

 

 また、田畑先生のお話は純粋に楽しい「お伽噺」が多く、「話」といえば、やたら成績の事や生活態度に関する苦言ばかりだった当時のクラス担任とは対照的で、特に私のような担任からも諦められていたような問題児には、今考えれば「駆け込み寺の住職」的な存在であったような気もします。

 

 ただ、田畑先生のお話にはいつも一つ、不思議な所がありました。
 それは、ストーリーの展開があり、必ずインパクトのある結末が用意されているのに、十中八九、田畑先生はその結末が意味する事についてだけは、毎回、決して教えてはくれなかったのです。

 

 私の記憶に残っている、田畑先生にしていただいたお話を一つ紹介します。

 


 昔ある貧しい村で、誰かが「みんなで集まってパーティーをしよう」と提案しました。
 「みんな貧しくて余裕はないけれど、参加する全員がコップ一杯分だけワインを準備してくれば、きっと樽いっぱいのワインになって楽しいパーティーになる!」と。
 「それは良い考えだ!!」村人全員が賛同してパーティーが開かれるこことなりました。

 

 パーティーの当日、村人の全員が持参したコップ一杯のワインを樽の中へ注いで席に着きました。
 「さあ、楽しいパーティーを始めよう!」
 樽いっぱいのワインをみんなに振舞おうとした人が樽の中を見て言葉を失いました。
 「どうしたの!?」
 席を立った村人たちは皆次々に樽の中を覗きに行き、樽の中身を見た瞬間に一人の例外もなく言葉を失い俯いてしまいました。

 

 なんと、樽の中に入っていたのはワインではなく、樽いっぱいの「水」だったのです・・

 


 こんな感じです。(笑)
 この手の話は90年代以降、人間の本性を皮肉に描くドラマやアニメ等(『笑うセールスマン』等)で多用されるようになった手法ですが、時はまだ昭和の50年代の事であり、私の知る限りでは当時こんな話を子供相手にする大人など田畑先生以外にはいませんでした。
 ただ(一応大人になった)今の私の考える田畑先生の本当に凄い所は、こういった話の教訓や模範解答を決してその場で子供たちには話さず、討議さえさせようとしなかった所です。

 

 彼は彼の話のテーマや教訓は、単純な「回答」として子供たちの耳に入れた所で、時の経過とともに忘れ去られていくだけである事を悟っていて、敢えてその話を聞いた子供たちが大人になった時、それぞれが対峙する境遇の中でその意味と教訓に辿り着けばいいと考えていたのです。これは私の憶測に過ぎませんが、私は彼の思惑をそう捉えています。

 

 私が一度は忘れていた田畑先生のこの話を思い出し、「こういう事だったのか!!」と悟ったのは30歳前後の頃だったと思います。
 前職における、人と人の様々なしがらみに苦悩し、自分自身が何を基準に物を考え、人に何を認めてもらうために努力して行けば良いのか、分からなくなってしまっていた頃の事だったと思います。

 

 それから更に時が流れ、今、当時の田畑先生くらいの歳になった私は、今でも40年近く前に彼が人生の先輩として伝えようとしていた数々の教訓や想いを自分の中で考察し、この世界で自分自身が生きて行く上で大切な指針の一つとしています。(^_^)