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ある秋の日の午後に

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 先日の記事(『時の流れの中で』)で、あたかも自分が人生を達観でもしているかのようエラそうな事を書いてしまいましたが、実はさきほど昼寝するチロルの寝顔を見ていて、子供の頃に飼っていた犬の事を思い出してしまいました。
 結論から申しますと、私もこの半生においてたくさんの「後悔」を抱えており、今日ここで触れるのは、その「後悔」の中でも最大級の案件(笑)であるということです。

 

 その犬の名前はジョン。私が11歳の頃から22歳の頃までの11年間、九州の実家で飼っていた雌の雑種犬でした。
 小さい頃から犬が大好きで、何年もかけて父へお願いし続け、小学5年生の頃に父が職場の同僚から譲り受けてくる形で、ようやく迎えることができた夢にまで見た愛犬でした。

 

 19歳になる年に実家を巣立って上京した私は、年老いたジョンといつ今生の別れが訪れても悔いが残らぬよう、たまに実家へ帰省すると、いつでも私を覚えていてくれた彼女を慈しみ、「今回が最後になるかも」と自分自身に言い聞かせて、とにかく全力で可愛がりました。

 

 そんな事に慣れて、「ジョンはもうしばらく大丈夫だろう」と勝手に思い込むようになっていた22歳の春の事でした。
 
 「もうジョンの事は可愛くないの?」
 帰省してきたのに殆どジョンに構おうとしない私に呆れた母からの一言でした。
 「少し忙しいんだ・・」
 適当に濁しながらも結局、散歩一つしてやらないままジョンを残して実家を離れたその帰省が、私とジョンの今生の別れになってしまいました。
 
 ジョンはその年の秋に死にました。死因は夜間に何らかの要因でリードが身体に絡まり、窒息状態となった末の事故死でした。

 

 私がそれを知ったのはそれから数日経った雨の日曜日で、私は普段全く手紙を書かない父からの手紙によってその衝撃的な事実を知る事となりました。

 

 手紙には、箱の中で花に包まれて横たわるジョンの遺体と、実家の庭に埋葬されたジョンの墓の写真が何枚か同封されていました。
 しかしジョンの遺体の写真からは、目さえも閉じ切れていない苦悶の表情から、その最期の瞬間が決して安らかなものでなかったという悲しい事実しか伝わって来ませんでした。

 

 父の手紙は、自分の不注意で息子の大切な友を死なせてしまったという、父なりの謝罪の意味を込めた誠意の形でした。
 もちろん、その件で私が父や他の誰かを責める理由など一切無い事は最初から理解していました。

 

 しかし、私がそれ以降陥る事となった深い悲しみの要因は、生きたジョンと再会出来た最後の機会を私自身の不徳で疎かにしてしまった事と、ジョンが苦しみ抜いて絶命したであろう事実へのやり切れなさからでした。

 

 私は、生きたジョンと会う事ができた残り僅かな日々の中で、ジョンの最期は、気候の穏やかな良く晴れた日の日中で、一切苦しむ事も無く安らかに眠るように旅立って行ってくれればと願っていました。
 そしていつか、実家の家族からその通りの知らせを受ける事となる日が、ジョンと自分の今生の別れの日となると考えていたのでした。

 

 ジョンの最期の「現実」は、私のその勝手な「理想」とは似ても似つかないほど悲惨で皮肉なものであり、そのショックと自責の念から、それ以降の私の「愛する者との死別への概念」は大きく変わりました。いえ、変わったというより、「愛する者との死別」を意識する事に対して「過剰な恐怖とストレスを抱くようになってしまった」と表現した方が正しいのかも知れません。

 

 4年前に室内犬を飼いたいと妻と娘たちが言い出し、結果的にチロルを新たな家族として迎え入れる事となった時、最後まで反対したのは私でした。
 それは、ペットを「購入すること」に賛同できない私の信条が、ペット産業という人間の「命への冒瀆」に加担してしまう事を懸念しての事だったのですが、実はそれと同等かそれ以上に、ジョンとの死別から既に20年以上も経っていたにも関わらず、私自身がトラウマから立ち直れずにいた事が決定的な理由だったのです。

 

 私は今でもジョンを忘れていません。しかしこの世界にもうジョンは居ません。
 以前、偶発的な要因で体外離脱して降り立った過去の世界で、私はジョンとの再会を果たしました。
 しかしその世界のジョンは私を敵視し、冷たい目で睨んで唸り、差し出した私の手に噛みついてさえして来ました。

 

 私は悟りました。もうその世界のジョンでさえ、生前の大切な家族だったジョンではなく、あの夜の些細な出来事を境に決定づけられた運命の延長線上にしか存在しない、私の心の闇を反映した幻に過ぎなかったのです。

 

 ただ、まだ若かった、ジョンを失った頃の私と今の私には、時の流れの中で培ってきた経験値の違いがあり、その一つに「生命の生涯に対する捉え方の違い」があります。

 

 今の私はこう考えています。 
 
 どんな生命にも「終わりの時」は必ずあります。つまり生命にとって「死」とは本来、「誕生」と同等に必然であり、「不運」でなどあるはずがないのです。
 だから、大切な者との死別がどんなに悲しくても、残された者はその悲しみにいつまでも縛られ、死別した者の生涯を「不幸を到達点とした悲しみの生涯」とし続けてはいけないのです。

 

 旅立って行った者の精一杯生きた生涯の軌跡が「悲劇」として締めくくられるか、「良き思い出」として心に刻まれて共に生きて行く事ができるのかは、残された者の心一つで決まるのです。

 

 だから私は、自分の中で「いまだに悲しみで終わっているジョンの生涯」を違う視点で捉える事が出来るようになる努力をしています。
 まだ完全ではありませんが、そのうちまたアストラル界等で再会するジョンが前回とは違う反応を示してくれるようになって行けばいいと思っています。
 

 

 今チロルは、成長しそれぞれの世界の楽しさを覚え、いつの間にか手の届かない位置で歩くようになってしまった娘たちに代わり、いつでも傍にいてくれる大切な息子のような存在となりました。

 

 そんなチロルともいつか、ジョンの時と同じように、耐えられない悲しみの伴う「別れの日」が訪れるのでしょう・・

 

 私が今、愛すべき新たな家族となってくれたチロルに対して望んでいることは、この残忍で身勝手な人間たちのエゴに永久に騙されたまま幸せな生涯を送り、安らかな最期を迎えて旅立って行って欲しいということです。

 

 私は、今チロルと共に過ごせる一日一日を大切に過ごし、いつか迎える別れの日に悔いが残らないようにして、チロルとの日々が思い出に変わった後も、その生涯が温かい記憶となって心に残るよう努力して行くつもりです。

 


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