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肉丸(にくまる)のこと

2019.04.07 今日の空と犬(公開中)


 小学生の頃、私は「肉丸」という名前の、青い目をした白い兎を飼っていました。
 父が仕事先から、まだ掌に乗るほど小さかった生まれたての彼を貰ってきたのがその出会いの経緯でした。
 
 「肉丸」という名前の由来は、貰われて来たばかりの頃、緊張で身を竦めていた彼の様子がまるで掌大の肉団子のようだったので、たまたまその時期にテレビで放映されていたアニメ、「さすがの猿飛」の主人公「猿飛肉丸」にちなんで、私がそう名付けたのでした。

 

 肉丸の日頃の世話は、三人兄姉の末っ子だった私が必然的に担当する事となったのですが、兎小屋の掃除などはともかく、日々の餌を確保する事には常に苦労していました。
 経済的余裕の無かった当時の実家の家計上、我が家には日々のペットの餌代に投資する余裕など到底無く、肉丸に食べさせる日々の餌は「世話係」だった私が確保しなければならなかったのです。

 

 よって当時の私は、毎日学校から帰宅すると、近所の商店へ行き野菜の切りくずをもらって来るのが日課となったのですが、いつもそうそう毎日都合よく野菜の切りくずが手に入る訳でもなく、肉丸に食べさせる十分な餌が確保できなかった日は、私はその足で山へ行き、経験上、兎が食べると記憶した野草等を探し回って採っていました。

 

 そんな肉丸との突然の別れは、それから数年後のある日にやって来ました。
 父がお酒の席の中で、兎を欲しがっている小さなお子さんが居るという知人へ、肉丸を譲渡するという勝手な約束を独断でして来てしまったのです。
 
 当然、私は反対しました。しかし父が譲渡を決断した動機には、毎日私が肉丸の世話に翻弄されている事へ配慮した部分も大いにあり、実際当時の私は、高校受験のための塾通いやその資金を確保するためのアルバイト(新聞配達)等で日々の時間に余裕が無くなって来ているのが現状でした。

 

 「元気でね・・」
 その何の前触れも無くやって来た肉丸との突然の別れは、悲しみや寂しさの感情が追いつく暇も無いほど唐突でした。
 しかし実は私自身、「肉丸」という日々の大きな義務から解放されて安堵している自分自身に後ろめたさを覚える部分も少なからずあり、誰を責める事も出来なかったその出来事の経緯を複雑な思いで見送ったのを覚えています・・

 

 それから数年後、たまたま肉丸が譲渡されて行った先の家の付近を通りかかった私は、肉丸の事を思い出して、その家の広い庭の中にあった、小学校の飼育小屋ほどもある大きな小屋の中を覗いてみました。

 

 するとそこには、生れてまだ間もない小さくて可愛い仔兎が5、6匹、そしてその親と思われる大人の兎が1匹、目入りました。

 

 私は小屋の隅にいたもう一匹の大人の兎の存在に気付きました。
 「まさか!」
 青い瞳の白兎。それは紛れもなく肉丸でした。

 

 その期待もしていなかった思いがけない現実に私は言葉を失いました。

 

 その日私が目にした肉丸の姿は、あの日の別れが肉丸にとって「幸せな余生への転機」であった事を確信するのに十分な現状でした。
 肉丸は私の元を離れ新たな飼い主に飼育される事となった以降、それまでよりも遥かに大きな小屋と仲間、そして彼自身が特別なパートナーと出会って子孫を残す事にも成功していたのです。

 

 私が生きた肉丸と会ったのはあの日が最後でした。よって動物の寿命上、それから何年か後に彼が他界したであろう事は確かであっても、幸い私は肉丸との死別に涙する事もありませんでした。

 

 私の中の肉丸は、彼にとって一番幸せであったであろう時期のまま、私の心の中で今も元気に生き続けています。

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