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時の流れの中で

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プレゼント

(SEKAI NO OWARI)

 

     

 



 写真の玩具は7、8年前、まだ幼かった娘たち(現在は高2と中2)への誕生日プレゼントとして当時住んでいた大阪の地で購入したものでした。

 

 あれから二度の引っ越しを経て、現在の自宅の子供部屋のクローゼットの奥で眠っていたものを、妻が友人のお子さんへあげるために取り出したようです。

 

 親バカですが、まだ娘たちが小さかった、懐かしい土地での楽しく幸せだった時代の記憶が蘇り心が温かくなる半面、大切な思い出の品をまた一つ手放して行く事に一抹の寂しさを覚えます。

 

 当時私はまだ前職(国家公務員)に従事しており、転勤で居住する事になった大阪での4年間は本当に苦労の絶えない大変な日々でした。
 しかし幸せでした。どんなに仕事がきつくても、充実した日々は確実に自分自身に誇りと自信をもたらし、守るべき家族は私にとって、常に命懸けで守るべき最愛の存在であり続けてくれたのです。

 

 もちろん、現在も家族への愛は当然、ちゃんとあります。
 しかし子供たちが成長し、彼女たち自身がそれぞれの世界を築いて行くにつれ、必然的に親との距離は離れて行くものであり、親が付いていなければ何処へも行けなかった頃の、日々のあらゆる結節が全て「家族イベント」となった日常も、今ではそのほとんどが過去の思い出となっています。

 

 でも、だからこそ今の私は、余生で「自分がやりたいこと」ではなく、「自分がやるべきこと」に集中して生きていられるのだとも思っています。

 

 私は昨年の秋に神月美香さんと出会い(再会し)本来の自分自身の使命について知るまでの間、それまでの半生で出会い関わってきた友人や親族、そして何より妻や子供たちのお陰で、既に余生で思い残す事が無いほど十分に幸せな時を過ごす事が出来たのだと確信しています。

 

 よって私が「平苑郭」としての残りの人生に望むことは、今後の神月さんとの死別の有無に関わらず、「愛の神」として、地球や人々のために貢献し続ける事と、現世の家族の人生を支えるために生涯働き続ける事です。

 

 今日は「母の日」ですね。
 こんな偉そうな記事を書いている私ですが、実はそれに気がついたのは今日の昼過ぎの事で、先ほど実家の母へ久しぶりに電話するとともに、妻へのプレゼントを買いに慌てて出かけて来ました。
 妻は今日たまたま近所の自分の実家へ帰っていたため、プレゼントの購入は見つからずに処置することが出来たのですが、帰宅後の妻に尋ねたところ、妻は私の母と義母へのプレゼントを既に手配してくれていたようで、娘たちもそれぞれ、水面下でちゃんと母のためにサプライズを準備していたようでした・・

 

 私はまだまだ、「人」としても「神」としても精進が足りないようです。(-_-)

 

 我よ!「愛の神」だろ?もっと頑張るのだ!!

 

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