· 

見続ける夢と能力の関係

  ずい分久しぶりにこのコーナーへの記事を追加します。
 
 この「自宅療養研究所」は、元々私自身が先天的に持っていた能力を更に研究開発して行く事を目的に趣味で立ち上げたのが始まりでした。

 

 しかし独立開業に乗り出してからのこの1年ほどの間は、開業のための現実的な準備とそれに伴う無数の業務に追われる毎日で、本来の自分のスタンスだった「別世界の住人的要素」が完全に逆転したリアルな「現実社会の人」としての目の回るような日常に奮闘して来ました。

 

 夕べは最近のそんな日常から、自分に初心を思い出させてくれる夢を久しぶりに見ることが出来たのでご紹介します。

 

 

 私は幼少の頃からよく「空を飛ぶ夢」を見続けて来ました。

 

 「何だ夢の話か」とお思いでしょう。確かに「夢」の話なのです。

 

 しかし、私が物心がついた頃から40代後半となった現在まで見続けて来たその「空を飛ぶ夢」には、実はいくつかの不思議な共通点があるのです。

 

 まず一つ目は、空を飛ぶ「技術」です。


 私が夢の中で空中を移動する際は必ず、誰にも習った事がないはずの「ある決まった技術」を駆使して来ました。

 それはよくアニメやマンガ等であるように、羽ばたいたり高いビルの屋上から飛び降りたりするのではなく、まず自分の体内に重力の制約から解き放たれるエネルギーを循環させて身体を宙に浮かせます。
 そして、そのエネルギーを磁石の二つの極を干渉させるようなイメージで制御し、推進や高度調整などの細かい動きをコントロールするのです。

 

 二つ目の共通点は「飛行技術」のコントロールが非常に難しくて、思うように速度や高度の調整が出来なかったり、エネルギーの制御そのものが出来なくなって墜落事故を起こしてしまう場面に直面する事です。
 さすがに夢の中なので死亡する事も痛みを感じる事もないのですが、なぜか「現実なら間違いなく死んでいる」という意識が強く働いて、何とも言えない不快な気持ちになります。
 
 この二つ目の共通点にある「現実なら・・」という心理の表現からお分かりと思いますが、三つ目の共通点として、この夢は必ず「自覚夢」であり、私はこの自覚夢の世界を「本来の自分の能力が発揮できる世界」であると自覚しています。
 これは言い方を変えれば、現実の世界においては本来の自分が持つ能力は制限されており、その制約から解放された自分の能力を掌握できる場としての「夢の世界」を実は私は、幼少の頃からずっと意識して来たのです。

 

 そして最後の四つ目の共通点ですが、私はその夢の中の世界では、空を飛べるという自分の能力を例外なく周囲の人々に秘密にしています。
 その夢の中の世界においてもやはり、人が重力に逆らって空中を浮遊するような事はあり得ない事であって、それを人前で暴露してしまうような事は、自分自身の社会的立場を窮地へ追い込む要因になりかねないという意識が、ある種の「パラレルワールド」であるはずのその世界においても働いています。

 

 この私の意識に幼少の頃から刻まれている「空を飛ぶ技術の概念」について、「それって、ドラゴンボールの『舞空術』の認識が刷り込まれているのでは?」と思われる方も大勢いらっしゃる事と思います。

 確かにこの「エネルギー」という概念をドラゴンボールの世界における「気」に置き換えれば、それをコントロールして空を飛ぶという発想は、全く同じと言って良いほど酷似した発想であるとも言えます。

 

 しかし、鳥山明氏のドラゴンボールという作品が少年ジャンプでの連載を開始した時期、私は既に中学生になっており、逆に私がその夢を観始めた時期を鳥山氏の軌跡へ照合すると、ドラゴンボールの前作であり彼の出世作となった「Drスランプ」の連載すらまだ始まっていなかった時期と重なるのです。

 

 また、私が自覚夢の中で空を飛ぶ際にコントロールしてきた「エネルギー」の感覚についてですが、実は30代前半に覚醒した「基本的なヒーリング能力」のエネルギー制御の感覚と非常に良く似ています。

 

 これは、それらの事を念頭に置いた上での一つの仮説にすぎませんが、もしかすると私が幼少の頃から自覚夢の世界で行ってきた「空を飛ぶという行為」に不随するエネルギー操作の鍛錬は、実は私のヒーラーとしての覚醒においても、決して欠かす事のできない重要なプロセスとなった可能性があるのでは?と私は考えるようになっています。